群馬県の図像板碑(25) |
JR高崎線「新町」駅から万場行きの上信バスは藤岡市を通り神流川を遡り、鬼石町を経て下久保ダム、神流湖の傍らを通り抜けて川沿いの道を万場町に至る。万場町の中心地の手前の柏木パス停(新町駅より約35キロ)から百メートル程先の民家の間の細い道路に面して、三方をトタンで囲い前に鉄柵・施鎖した小屋の奥に、種子板碑と並んで中央にたてられている。
高さ115センチ、上巾31.5、下巾33.7、厚さ4.5〜5センチの鱗片状緑泥片岩製で頭部は先端部をやや欠失する。二条線の刻みは正面のみで側面は平らなままで、その下に輸郭線を陰刻する。
輸郭のワクの中ほどから上に正面向きで、円光をおい来迎相をとる阿弥陀如来立像が踏割蓮座の上にたつ、お顔の部分は目鼻立ちの部分を残して他の部分を浅く彫りさらえる手法をとり、目が大き童顔を思わせる。頭部の周囲に32本の放射光が傘の骨状に広がり、その内二本が右の輪郭までのぴている。
中尊の飛雲の下方に左を向いて蓮台をささげ、宝冠をかぶり頭光をおう観音像が背中や肩から天衣を長くたらし、同じように踏割蓮座の上に立つ。反対側には右向きの勢至菩薩が同じく陰刻の宝冠をかぶり合掌して飛雲上に立っている。彫法は三尊とも同じく面部は目鼻立ちを残して彫りくぼめ、蓮座は陰刻するなど共通している。また飛雲はいづれも一方向に動きを示すように後上方に尾をひく。脇侍二菩薩の飛雲の間に紀年銘を一行に刻む。
「乾元二年八月日」(1303)
管理者の新井氏の話によると、現在も3月8日に幟をたて近隣の人が参詣する習憤が残っている由である。