茨城県の図像板碑(6) |
菅生沼に注ぐ江川に近い集落の中に点在する墓地の一つの、渡辺福蔵家の墓碑の後ろに四基の板碑が下部をセメントで固定して祀られている。その中で一番大きい板碑が図像板碑である。現在は上下を逆にして固定されていたのが、折損して後ろのブロック塀に立て掛けられており、約10センチが固定部に残った状態である。
現高54センチ、上幅22.5、下幅21、厚さ3.1センチの緑泥片岩製の板碑で、下部は細く尖っている。上部の折損する部分に阿弥陀如来の顔のごく一部から下の部分が残される。衣文の一部分と放射光が認められ、その右下に頭光をおう観音菩薩像の線刻の一部と雲尾の末端が判る。左側の勢至菩薩像は現在では痕跡も止めないが、かろうじて雲尾の一部が残る。この飛雲の状態から推測して早来迎形の弥陀三尊像板碑であったことが判る。観音像の頭光の左あたりから「妙口禅尼」とかろうじて判読できる刻字がある。
『岩井市の板碑』によれば、「二条線より上部欠損。主尊の弥陀、両脇侍も飛雲にのる。主尊の上部両側に円光を用いて日月を表している。図番360(注/辺田・西念寺板碑を示す)と同じく阿弥陀三尊の来迎図像の板碑である。」とし、高さ64センチ、上幅23.2、下幅22.5、厚さ3.1センチと記す(同書200ぺージ)。像の下部に「天文二年(1533)/八月日妙国禅尼」の銘があったことが記されるが、上記の如く日月と阿弥陀像の上部は折損しており、更に銘文部分も現在では風化が一段と進み判読に至らない。前述の如く全体に風化のため、現状では拓本によってかろうじて像の一部を確認することができる程度である。
〔参考文献〕岩井市史調査報告書『岩井市の板碑』岩井市史編さん委員会(平成4年3月)