福島県の来迎石仏・板碑(99) |
★石川町新町来迎三尊板碑 石川町新町97 鈴木氏宅
市街地中央をほぼ東西にはしる御斎所街道の、北須川の東岸を北へ入った新町の鈴木氏の裏庭に榛の大木があり、この樹の根元にたてかけるようにして1基の頭部山形をした来迎三尊板碑が南面して、直接地上にたてられている。
総高74・5センチ、上巾33、下巾37、厚さ17・5センチの額部と根部を有する板碑形であるが、額部の下部や根部などは大きく剥落しているほか、全体的にかなり風化が目立つ。一見した全体の印象は長郷田板碑に似ているように思われる。
身部から最大5センチ張り出した額部は、特に下部が欠け落ち、身部も左下方が広く剥離するほか全面にわたってあれているが、側面は比較的原形をよく保っている。
額部より6センチ下ったところから、像高26センチの右向きの阿弥陀像を、お顔の輪郭は石面を斜めに彫って立体的にあらわし、目鼻や肉身部は細い陰刻線で表現する。衲衣の部分は石面を広く斜めに彫りこむ他の図像板碑と同じ手法がとられる。蓮座は巾の狭い先の尖った陰刻の蓮弁であらわされる。中尊の左手の下辺りから右向きの観音像が、菊の花状の蓬台を捧げて立ち、腕からは天衣が垂れているが、下部は石面があれているために足元の状態など不明である。また、中尊左側の勢至像は一層石の表面があれていて、右向きであることなど部分的に像の様子をうかがい知れる程度で、全体の像高も測定できない位である。
いずれにせよ、弥陀・観音・勢至の三尊が、右下方を向いて立つ早来迎形式をとるものである。ただ、観音菩薩像の右前方には割合広い空問があるが、ここには念仏行者などの彫られたようすは認められなかった。元来から当家にあったものではなく、当家の向いにある小林製材所を建てる折りに、掘り出されたものを、当家に移建したものであるという。石面がひどくあれたりしているのはそれらの理由によると考えられる。
