福島県の来迎石仏・板碑(61) |
★阿弥陀山来迎石仏 鏡石町鏡田字影沼 俗称阿弥陀山
鏡石町は岩瀬郡全体からみると東部にあるが、鏡田は阿武隈川から分れて北流する釈迦堂川の東岸に位置し、町全体からみると西北部に当る旧鏡田村に属する。国道4号線を鏡沼から西にわかれ、東北自動車道を陸橋で越え数百m進んだ道の右手はゆるやかな斜面が続き、左手は一面に畑が広がるが、この斜面の道路より約2m余り登った狭い平坦地の雑木林を背景にして、来迎石仏が西面して直接地上にたっている。付近は目印になるようなものもないが、双式来迎磨崖石仏のある仁井田墓地から西北に1.5㎞ばかりの地点にあたる。

石面の周囲をとりまいている輪郭は、現在わずかに左上部の一部分が残っているだけであるが、左縁及び右縁の下方にはその突起していた輪郭の剥落した跡がはっきり残っており、これから元の状態を考えてみると、上が狭く下の方がやや広い(大略30〜33.5㎝)長方形の輪郭が、約2㎝の段差で作られていたと考えることができる。
上の輪郭下端から3㎝下った左右ほぼ中央に、正面を向いた来迎相の阿弥陀如来が半肉彫りで、膝のあたりまで残されており、現状で像高43㎝ある。お顔の表情や首の三道、衲衣の襞などの彫刻も比較的よく残されており、また、腰のあたりから左の輪郭にかけて飛雲の末端が細くたなびいているのが薄肉彫りされている。石の残された下方に、脇侍二菩薩の頭部のみが認められる。宝冠をいただき、ややお顔を下の方に向けて中尊の方を向いている通形の来迎三尊像であることが判る。その宝冠の彫刻も中尊と同様にていねいな彫刻技術が用いられている。像の背面にあたる内部は、平滑に水磨きされており、観音菩薩像の宝冠のうしろ側や、左上部に残っている輪郭の下端部などには朱の跡が見られる。
