福島県の来迎石仏・板碑(60) |
○鏡石町の来迎石仏
明治22年4月1日、鏡田・久来石・笠石.成田の四カ村が合併して鏡石村となり、昭和37年8月1日町制を施行。岩瀬郡東部に位置し、北は須賀川市、南は西白河郡矢吹町、南東は阿武隈川を隔てて石川郡玉川村、南西の一部は天栄村t接する。
標高240〜290m余の平坦な台地上に位置し、西境を釈迦堂川、東境を阿武隈川が流れる。町の中央をほぼ南北にJR東北本線がはしり、その西側に国道4号線、西端を東北自動車道が縦貫している。来迎石仏6基の内、高久田・木曾来迎石仏のみが東北本線の東側にあるほかは、いずれも西側に所在している。
★木曾来迎石仏 鏡石町鏡田高久田字木曾
JR「鏡石」駅の東北約4㎞、駅の西側を通る陸羽街道を北にとり、「高久田の湯」という看板が電柱に取り付けられた所を東に折れ国鉄の線路を越え、道に沿って東から北西へまわりこむと地道にかわる。この細道はかつての鎌倉街道といわれているが、この道の東側に一間四方程の小屋が新しく建てられ、来迎石仏はこの中に北面して直接地上にたてられている。
総高87・5cm、上巾53・5、下巾63、厚さ12.5〜13㎝の凝灰岩製で、その表面に岩瀬地方で最も類例の多い凸字形の輪郭をとり内部を約2㎝彫り沈める。この凸字形の内側中央12・5㎝下ったところから正面向きの阿弥陀像が来迎相で、先端が巻きこんだ雲の上に立ち、その足元に近いところからそれぞれ中尊の方をむいて向い合う脇侍二菩薩が半肉彫りされる。即ち蓮台を持った観音菩薩が右側に、合掌する勢至菩薩が左側に、雲の後部が凸字形の輪郭に接して彫られた飛雲の上に立っている。二菩薩の内、観音像のお顔の部分は現在剥落して形跡を留めていない。
凸字形の上方広い部分に刻字の跡がある。右側は風化のために判読できないが、左側は右上りのかなりくせのある書体で次のように紀年銘が読まれる。
「弘安六年大才癸未四月日」 (1283)
中通り地区の来迎石仏で福島市・陽泉寺来迎石仏の正嘉二年在銘のものを最初として五番目に当るものである。