福島県の来迎石仏・板碑(57) |
★大久保来迎石仏1 岩瀬村大久保字宿65 相楽家
村の南東端に当る地区で村役場のある柱田から丘陵をへだてて南に当たり、交通の便は悪く須賀川−長沼のバス道から2㎞ばかり北へ入らなければならない。
この辺りは二階堂兵衛大夫助親の城館があった所で、外堀や内堀の一部が残っており、上城・下城・陣屋・登城等の地名が残っている。
現在この地区の、相楽家の裏庭に2基、裏の道路脇に大きく破損したもの2基の、計4基の来迎石仏が残されている。相楽家のものは昭和初期に土地を整地した時に出土したもので、土塁跡に2基並べてたてられている。
総高87cm、下巾44.5cm、厚さ13cmの凝灰岩の板石に凸字形の輪郭をとり、内部を0.5cm内外とごく浅く彫り窪めるが風化のため一部は欠けた部分も見られる。その中央部左寄りに左足を踏み下げ右足を左膝にのせる半跏の阿弥陀如来を薄肉彫りし、その飛雲下方の右側に膝を曲げ正座にちかい姿勢で前かがみになり蓬台を差し出す観音菩薩と、その左後方の少し高い位置に同じように膝を曲げ胸を張って合掌する勢至菩薩が彫り出される。このほかに右側周縁内側の観音菩薩の差し出す蓮台のところに小さく引摂を待つ念仏信者の坐像が彫られる。
表面の風化が著しく原形を損うが全体にのびやかな彫刻で空間に対する像の占める割合もよく、鎌倉時代後期の作と思われる。
中尊の半跏像形式の来迎石仏は珍らしく、阿武隈川西岸ではほかに古舘来迎石仏と2基のみである(石川郡に2基ある〜やがて取り上げます)。
★大久保来迎石仏2 岩瀬村大久保字宿65 相楽家
先の来迎石仏と同じ土塁の上に南面してたっており、現高70cm、上巾・下巾共に64cm、断面コの字形の輪郭をもつ(右側で厚さ18cm、左側で22.5cm)石龕形式のもので、現在は上部と下部をそれぞれ欠失して真中の部分のみが残る。
石の両側に7㎝の巾で輪郭をとり、内部を9〜9.5cm彫りさげて、その奥壁中央に巻雲の上に乗る来迎印の阿弥陀如来像を半肉彫りし、その足元の辺りから両側に上半身をかがめて向い合う脇侍二菩薩の腰あたり迄が残る。永い間地中にあったためか折損するものの、像の損傷は割合少なく、半肉彫りの像は張りがあり細部に至る迄よく手が加えられている。また、周縁を9㎝余りも彫り窪めて石龕にした加工は他に例がなく、鎌倉時代中期頃の来迎石仏としては比較的早い時期に作られたものと考えられる。