福島県の来迎石仏・板碑(56) |
★町守屋来迎石仏 岩瀬村守屋字町 佐藤家
すぐ郡山市に接し、須賀川・郡山両駅前からバスの便がある。バス停近くの佐藤家の母屋と生垣の間に石壇を築き、その上に祀られている。
総高76.5cm、下巾48.5cm、厚さ10cmと比較的小型の来迎石仏である。井戸を掘った時に出土したとのことで山形になった頭部を折損し補修されている。51×38cmの長方形に内側を約1cmの深さに彫り窪めるが、右縁の下から8㎝のところで1.7×16cmのコの字形の内ぐりがある。同様の例は他にも散見され(郡山市・富岡阿弥陀堂、岩瀬村町守屋、矢吹町・澄江寺塔)いづれも、早来迎形の小型の来迎石仏である点に共通点がみられる。
中央部よりやや左に寄って右向きの阿弥陀如来が丸く滑らかな瑞雲の上にたち、その左手の下に蓮台を持ち腰をかがめ上半身を曲げた観音菩薩が立ち、その後方に合掌する勢至菩薩が立っている。勢至像に対して観音像の位置が低く、全体に左上方から右下方へ来迎する動感を表わす。この来迎像の動きが左から右へ飛来する形をとる主な理由は、わが平安・鎌倉時代の「頭北面西」の「臨終行儀」にあり、念仏信者は臨終に当り西方浄土に向って北枕西向きに横臥し、その枕辺に来迎像を飾り五色の糸にすがって往生するのが普通の習慣になっていたことと関わるものと考えられる。その場合、観音菩薩の捧げる蓮台の前方にあるコの字形の内ぐりが、念仏信者の往生と何らかの結びつきをもって作られたことが十分考えられるところである。小型であるということは運搬の可能性ともからんで、必要に応じて人の背にのせて運ばれたのではないかと考えられる。
また、直接此の位置に念仏行者の姿を彫り出す石仏・板碑も今までに何基か取り上げてきたが、共通するものを感じる。