東京都(二十三区)の図像板碑(25) |
◆東京都台東区 谷中4 永久寺 聖観音図像板碑
地下鉄千代田線千駄木駅の団子坂交差点を三崎4坂方面に約400メートル上る。三崎坂をほぼ上がりきる辺りの左側。又はJR日暮里駅南口から徒歩約10分。曹洞宗寺院で興福山と名乗る江戸時代初期の創建という寺院。
墓地入口石段を上がったすぐ右手にたつ「仮名垣魯文墓」の安山岩製の角形塔婆正面に板碑形を彫り窪め、その中に嵌め込んでいる。遺族の要請で採拓は一切許可されない、と寺の話である。
現高77センチ、上幅32.5、下幅33.5センチで、下部は欠失する。頭部山形に二条の刻みを持ち身部に頭光をおった観音像を彫るが、表面の風化と剥離が著しく詳細は分かりにくい。化仏の付いた宝冠を被りやや浮き彫り状の面部は目鼻立ちも判り、左手で開敷蓮華を胸元に持つ(右手は剥離して不明)。その下の衣紋も一部が認められるが全体の姿は判らない。像の右には雲尾が見られ来迎の様子を示す。縣敏夫氏は「永久寺(台東区谷中)の観音画像板碑」(「武蔵野」第59巻第1号 昭和56年3月1日)の中で、発見までの経緯と、二条線の切り込みの入念さや像の刻線の自在さなどから鎌倉末から南北朝初期の造立と考察されている。
一方、<板碑が「仮名垣魯文」の墓石に>という記事を鈴木道也氏が発表され(昭和56年4月23日 朝日新聞夕刊)室町中期頃の造立とされるなど、造立時期についての見解は分かれる難しい板碑である。
墓塔の右側面「韓人金均金書/佛骨庵獨魯草文」、左側面「遺言本来空/財産無一物 俗名/仮名垣/魯文」と刻む。台東区有形文化財に指定される。