埼玉県の図像板碑(124) さいたま市(13) |
福正寺 弥陀三尊図像板碑
JR川越線「指扇」駅の北東へ歩いて約5分の所に建つ「慈覚山瑠璃光院福正寺」は、慈覚大師円仁により開かれたという寺伝をもつ天台宗の寺院で、図像板碑は平成7年に完成した客殿「瑠璃殿」の階段踊り場下の一画に置かれる。
現高は左側40センチ、右側35センチ、上幅44、下幅43.7、厚さ4センチの上下を欠失する残欠である。石面の両端に縦の陰刻線があり枠線と知れる。現存する石面上方に前机・三具足を挟んで向かい合って立つ観音・勢至菩薩の脇侍像の下半身以下が残る。観音像は両手で蓮台を捧持し、勢至像は胸元で合掌し、共に後方に靡く雲に乗る。
その下中央に「奉月待供(以下欠)」、石の両端に「帰命月天子」「為度衆生故普」という偈頌の一部が残る。これは「帰命月天子 本地大勢至 為度衆生故 普照四天下」で「月天子の本地大勢至に帰命す。衆生を度う為に四天下をあまねく照らすなり」と読まれ川勝政太郎「偈頌」では出典不明とし、注で西村貞『奈良の石仏』で『須弥四域経』出典とすると記すが、加藤政久『石仏偈頌辞典』ではこれは偽経で「総持抄巻第一 薬師法事」とする(但し二句が勢至尊)。この偈頌を刻む板碑はさいたま市緑区・浦和博物館の勢至図像板碑(双碑=文明十七年)や埼玉県比企郡小川町下里・弥陀一尊図像板碑(長享二年)が知られる。
偈頌の間には「慶壽 孫三郎/道金 平□三郎/永珎 道傅 満(以下欠)/道香 妙祐 大(以下欠)/妙慶 道珎/浄仲 大松/三郎四郎 太郎/源四郎 小三郎」等多数の交名が刻まれる。