埼玉県の図像板碑(79) 大里郡 12 |
JR「深谷」駅から寄居行きのバスで「仙元山」下車、上越新幹線のガードを越えて藤沢小学校の隣に有る。正応二年(1289)人見四郎基堅泰国が開基となり、その名をとって泰国山人見院とし、開山は時宗の一遍上人である。
寺の参道に面して左手に深谷市史跡指定の人見家歴代の墓(五輪塔三基)があり、その右端に花崗岩製の切石上に図像板碑が並んで北面して立っている。
現高128.6センチ、上幅47.5、下幅50.6、厚さ6.5~11センチの背面不整形の板碑。頭部山形(高さ14.5センチ)にし、その下に二条の刻みを持つ。二条の刻みの下10センチ隔てて、31.5センチの舟形光背を彫り窪め、約26センチの像高を測る中尊とその左右に二条刻みから19.5センチ下から23センチの舟形光背の中に像高約19センチの脇侍像を彫り出すが、いずれも風化に為に輪郭を辛うじて残す程度で細部は判らない。三尊はほぼ同じ高さに立つ。
善光寺三尊様式と主張された時期もあるが、善光寺三尊の特徴である一光三尊形式ではなく、一光一尊形式で妻沼町・堀口家板碑などと同じ普通に見る阿弥陀三尊図像板碑である。
身部にも刻字の痕らしき部分も散見されるが判読は出来ず不明。
なお、同寺には永和四年(一三七八)の名号板碑がある。