埼玉県の図像板碑(59) 児玉郡7 |
平成18年の町村合併で本庄市児玉町河内となる
JR八高線「児玉」駅に西南約5.5キロの小山川に沿った山間部で、県道44号児玉金沢秩父線沿いの本泉小学校の手前に当たる地域。平安後期~末期の武将河内(源)経国はこの地に庄園を設立し河内庄司と称したという。
道路に面して門構え・養蚕用の建物が立派で附近で目立つ屋敷の庭の一隅に、弥陀種子板碑等4~5基の板碑を直接地面に立てるが、その中の最前列に立てるのが当該の図像板碑で、近くの山麓にあったものを、30年ほど前に道路工事のために屋敷内に移したという。
地上高108センチ、上幅37、下幅38.5、厚さ4センチで、頭部山形に造るが、二条の刻みは認められない。石の表面は風化が著しく、拓本によるよりもむしろ肉眼で観察する方が、まだ像の様子が確認できる。地元の研究者・四方田氏が「埼玉史談」の報告されたのが最初である。
石の頂端から30センチ離れて中尊の阿弥陀如来立像を、その右下に小さな頭光をおった観音菩薩像が線刻され、左の勢至菩薩像は殆ど形跡を留めていない。刻字等も不明。