栃木県の図像板碑(2) |
新前橋-桐生-小山を結ぶJR両毛線の「小俣」駅の東北約2km、仁寿元年(851)慈覚大師円仁が入山した古い歴史を持つ鶏足寺へ向かう途中、中妻橋を渡り中妻・別府重太郎家が所有する畑の中の低い丘の上に阿弥陀堂が東面して建ち、板碑はその堂内中央に祀られている。
総高189センチ、上幅39.4、下幅43、厚さ6.5センチの緑泥片岩製の大型の図像板碑である。頭部の山形は幅38センチに高さは11センチと、幅に対して高さの低い(比高0.289)古風な作り方を示している。身部の四周をめぐって二重の郭線を陰刻し(外側が164センチ、上幅37、下幅41センチ、内側が158.5センチ、上幅32、下幅36センチ)その中に散蓮華を一片二片三片と連続的に散らして陰彫する。
内部上方には幅一杯に陰刻の美しい天蓋が彫られ、五條の櫻路が垂れ下がる。天蓋の下に正面向きの阿弥陀如来が、頭光と像の周りを彫りさげて、その中に像を半肉彫りであらわす。蓮座の下に向かい合って立つ観音菩薩と勢至菩薩の脇侍像は、頭光をごく浅く平らに彫りその中に顔だけを薄肉彫りにして、他の部分は線刻で彫り分けられ中尊の方に向き合って立っている。観音菩薩や勢至菩薩の天衣は腕から垂れて蓮座の上方に廓いている。三尊とも大振りに陰刻された蓮弁をもつ蓮座の上に立つが飛雲は彫り出されていない。像高は阿弥陀像が52.5センチ、観音像33センチ、勢至像が33.5センチを測る。優れた彫刻の図像板碑として古くから有名である。
像の下の刻銘は達筆な草書体で次の如く彫られる。
性阿弥陀仏
右為
成仏得道
文永十二年犯三月日(1275)
行忍敬/白
川勝政太郎著『日本石造美術辞典』(東京堂出版昭和53年8月10日)では「装飾的な意匠と、半肉彫・線彫・陰刻をたくみに併用した手法が成功している。華やかさと優美さにすぐれた板碑である。」と述べ(193ぺージ)、石井真之助著『板碑遍歴六十年』(八王子板碑研究会 昭和49年4月23日)には、美しい拓本が掲げられており、解説のなかで「素材の緑泥片岩も極めて良質のものであるせいか、天蓋も、仏像も、蓮台も、郭線も誠に非の打ちどころもない優秀な技術を示している。下部の文字も亦見事な草書体で全く他に類がない」(194ぺ-ジ)とする。