福島県の来迎石仏・板碑(84) |
○玉川村の来迎板碑
玉川村は県中央の郡山市から南約20㎞の地にあり、南北それぞれ石川町と須賀川市にはさまれるようにして、阿武隈川の東岸に東西に広がる農村地域である。交通の便は、村の西域をほぼ南北に国鉄水郡線が走り、泉郷駅がその中心となり、更に須賀川と石川を結ぶ石川街道を、福島交通バスが走っている以外は、交通の便にめぐまれない地域である。昭和30年3月に、西部の旧泉村と東部の旧須釜村が合併して、今日の玉川村となったが、村北部の岩法寺には、重文指定を受けている源基光の大五輪塔(治承五年十一月在銘)や、南部の南須釜・東福寺の舎利石塔(旧史跡・元久元年在銘)や、その他多くの種子板碑があるなど、福島県下においても石造美術の分野で、重要な位置を占める地域といえる。この村の来迎三尊板碑は、旧泉村に属する地区に4基、旧須釜村に属する地区に1基の、合計4基が知られている。
★観音堂板碑群 石川郡玉川村・観音山
阿武隈高地西縁に位置する観音山(452メートル)はかって修験道の信仰の地であったが、昭和61年玉川村から須賀川市にまたがり福島空港が設置されるに際して空港の敷地内となり、安全上の問題から415メートルまで削平され、周辺村々の山岳信仰の対象であった三角山の形状は今ではまったく見られなくなった。その為にかつては一山を構成していた山頂の十一面観音堂は37メートル下の平坦地に移建された。かつては西面して観音堂が建ち、それから少し離れた左の方に、切石積の石室が見られた。きちんと規則正しく積み上げられたものではなく、ごく大雑把に積まれたもので、特に屋根部に相当するところは、石塊を無造作に積み上げたもので、今にも崩れそうな有り様だった。そこに1基の来迎板碑が祀られていた。
かつて観音堂の左手にあった石室も解体され、その中に祀られていた弥陀三尊図像板碑は、工事中に発見された4基の板碑(1基は来迎板碑)と共に移建された観音堂の左手に一列に露天に並べられている。(拙著『福島県の弥陀来迎三尊石仏-の№106)