道草・武蔵国の図像板碑(4) |
東急東横線「自由が丘」駅から東急コーチバス「駒大深沢キャンパス前行き」乗車「深沢2丁目」下車、数メートル先の左手奥まった所に西面して小祠が建っている(三田家の敷地内)。
下部をセメントで固めて、小祠の中央に立てられる板碑は、現高71センチ、上幅39九、下幅40、厚さ2.5〜3センチの大きさを測る。頭部山形の下に二条の刻みを持ち、その下2.5センチ離して枠線を刻むが細くて風化によって判りずらくなっている。
直径13センチと9センチの二重の頭光をおって、正面を向いて蓮座の上に立つ阿弥陀如来像は来迎印をとり像高29.5センチの大きさに作られる。衣紋は襞の部分を残して中を彫り浚える手法で表す。身体全身から三条ずつの放光を一六方向に枠線一杯に陰刻する。蓮座の下には不明瞭ながら飛雲が刻まれるのが雲尾が左に靡いていることから判る。
その両端から中尊の方を向いた脇侍菩薩が共に頭光(直径6.5センチ)をおって作られるが、下半身当たりから下を欠失する。全体に風化が進み刻線も判りにくい部分がある。室町後期の造立と考えられる。
「せたがやの文化財」では「観音・勢至を種子で表す」とするが、特に勢至像は衣紋の一部を明確に認められ、像容・種子混合の図像板碑ではない。衣紋の襟部分は凹刻三角形で表され、一見蓮座のように見えるところから弥陀三尊像の見誤りというほかは無い。
バス道路に面して立てられた平成7年3月の世田谷区教育委員会の案内板によれば<もともと深沢字下山(現深沢三丁目)の阿弥陀塚にあったと言われ、江戸時代には小児の百日咳の平癒に信仰されていた。昭和初期頃盗難にあうが、その所在が確認されたのち、三田家邸内に移し、現在のようにセメントで固定しした>という。
世田谷区指定文化財(古文書)昭和53年9月1日。
なお、世田谷区には他にもう3基の図像板碑の所在が知られる(2基は未見)。