福島県の来迎石仏・板碑(73) |
★中野目塚原来迎板碑 矢吹町中野目字中野目東 円谷善人氏宅
先の円谷正秋氏宅の隣家で、主屋の南にひろがる広い庭のほぼ真中に立っている松の下に、たてかけられているが、現在上部約三分の一位の所で折損して、二つに分れて置かれている。復元すると、総高130cm、上巾39cm、下巾45cm、厚さ12cmの凝灰岩製で、山形の頭部・二条線・額部を有するが、根部の張り出しをもたない板碑形で、側面から見ると頂部は前へせり出し、前部は内側に大きく轡曲している。
額部は高さ9㎝と、正秋氏宅の来迎板碑とくらべてかなり狭く、また左右ともはしから4.5㎝の面取りを施す。頭部山形は巾35.5㎝に対して高さ13㎝とかなり高い。身部の下は約20㎝ほど荒叩きのままで、この部分まで地中に生けこまれていたものと思われる。
額部のすぐ下、身部の中央部に正面向きの来迎相の弥陀像を陰刻し、頭光を線刻であらわし、蓮座上に立つ。
この下左右に両脇侍の二菩薩像を彫り出すのが普通であるがこの板碑の場合は、中尊の蓮座の両側下に直径11.5㎝の線刻の月輪の中に観音の種子を刻んでいる点が特異である。普通は三尊とも像容であらわすか、三尊とも種子であらわし、主尊像容・脇侍種子の来迎石仏は、福島県中通り地区の未迎石仏の中で唯一のものである。また種子は、観音・勢至共に同じ種子イがつかわれている。
折損する上半部は、保存状態によるのか風化の程度が著しく、阿弥陀如来の上半身はかろうじてお姿を留めるほか、頭光も上半が認められる位である。『福島県史』及び『矢吹町史』によれば、この未迎板碑は、嘉元三年在銘となっている。
(阿弥陀如来浮彫り)
嘉元乙/巳三年
拓本をとるにあたっても充分注意を払ったが、風化のためにかろうじて嘉元三年と読みとれた。西白河郡の来迎石仏で唯一の在銘石仏で、福島県下の来迎石仏として、第9位の古さになるものである。