福島県の来迎石仏・板碑(72) |
★中野目東来迎石仏 矢吹町中野目字中野目東 円谷正秋家
『矢吹町史』の「板碑供養所在表」32にあたる来迎石仏で、中野目屋敷下供養塔と呼ばれ、中野目の南の水田にあったものを最近、円谷正秋氏宅の庭内に移建したものである。元々、明治のはじめに田の中に埋まっていたものを掘り出したと伝えられてきたものという話である。
総高113㎝、上巾37cm、下巾47cm、厚さ17.5cmの凝灰岩製の板碑で、山形頭部・二条線・額部・根部をそなえたものである。頂部の尖りは欠損して平らになっているが、正面側面とも中央でむくんでおり、二条線は側面まで刻まれ、その下の額部は高さ12㎝で、左右両側にそれぞれ4-3.5㎝の面取りが施されている。
身部中央に、来迎相の阿弥陀如来が蓮座上に立ち円光をおう。蓮座の右側に観音菩薩が蓮台を持って立ち、左側に勢至菩薩が膝を少し曲げて合掌する。三尊とも右方を向いた早来迎形の像容であらわされる。念仏行者像は彫り出されておらず、また三尊の位置は身部のほぼ中央に彫られている。三尊の円光は内側に向ってゆるやかなカーブで彫り窪められ、頭部がこの中で浮彫りのように彫り出されているのは、武蔵の図像板碑でよく見られる手法である。
三尊の身体は薄肉彫りされ、蓮座は陰刻とし、それをとりまいて浅いV字形の陰刻線で、飛雲が左方になびいて彫りあらわされる。浮き彫りとはいえ、一部には板碑と同じ手法が用いられるなど、自然石と板碑形の接点にある来迎石仏らしい形態といえよう。