福島県の来迎石仏・板碑(55) |
★長命寺来迎石仏1 岩瀬村畑田字橋本50 長命寺岩瀬村
公民館から南に集落が間近かに見えるのが橋本の集落で旧白江村に属した地域である。長命寺は『岩瀬郡誌』によれば「基言宗智山派に属し無重山と号す。枠衝村長楽寺の末寺にして由緒不詳なれども蓋し白方杜大字梅田の長命寺と同時代若しくは同一人の開創なるべしと云ふ」とあり、現在無住になっている。
来迎石仏は東面する本堂の南、旧道に面した一画を平らにして鉄骨製の覆屋を設けてその中に2基並んで保存される。
右側のものは下端をセメントで固定され、地上高174.5cm、上巾77cm、下巾90cm、厚さは22.5cm(右辺)〜35cm(左辺)の背面不整形の溶結性凝灰岩製で、岩瀬郡の来迎石仏の中で最も大きいものである。
この石の表面に下巾71cm、上巾56cm、高さ135cmの上部が花頭窓状の輪郭をとり、2.5〜3cmの深さに彫る。前に述べた岩瀬公民館来迎石仏は頂端部が尖っていたが、この石仏の場合は丸い曲線をもち尖っていない。
中央部に像高48.5cmの来迎印をとり蓮座の上に立つ阿弥陀如来を3.5cmの厚さに半肉彫りし、その蓮座をとりまくようにして広がる瑞雲の端から、宝冠をかぶった観音菩薩と勢至菩薩が向い合って同じように蓮座上に立つ。輪郭内部の空間の広がりに対して像の占める割合は小さくゆったりと、しかも細部にわたって丁寧な彫刻が施されている。
左右の輪郭部に一行ずつ次のような銘文が刻まれている。
「右志者□慈父幽霊菩提也
(阿 弥 陀 三 尊 像)
弘(方ム)長二年大才/壬戌/四月日敬白」 (1262)
鎌倉時代中期の作で、県下最古の来迎石仏である陽泉寺来迎石仏に遅れること四年で、岩瀬郡において最も古い石仏である。
★長命寺来迎石仏2 岩瀬村畑田字橋本50 長命寺岩瀬村
左側にあり同じように南面して直接地上にたてて置かれるが、脇侍二菩薩の下半身以下を欠失する。近くの長者屋敷と呼ばれる地の後山から移されたものである。
現高80cm、上巾51cm、下巾59.5cm、厚さ15cmの背面不整形の凝灰岩製で、普遍的な凸字形の輪郭をとり、瑞雲の上に立つ来迎印の阿弥陀如来を薄肉彫りし、その膝辺から下方に互いに向い合う脇侍二菩薩を彫り出す。なお、
これら来迎石仏を祀る覆屋をはさんで両側へ、L字形に7基の安山岩を用いた自然石の種子板碑があるが、いずれも無銘のものである。