福島県の来迎石仏・板碑(12) |
郡山市の南、須賀川市に隣接する地域の来迎石仏・板碑を取り上げる。
A. 熊野神社来迎石仏
郡山ー須賀川を結ぶ福島交通バス(旧国道経由)の笹川バス停の南200m程の所に鎮座する小さな神社の境内、拝殿の背後に樟の大木がありその根元に立てられている。
石の上部・左辺・下部を欠損して原形は不明であるが、現高100cmの大きさの凝灰岩製のものである。輪郭の造りだしは無く石の表面に直に早来迎形の弥陀三尊像を半肉彫りする。中尊の乗る瑞雲の渦巻き模様が、その右下の観音像の頭光の周りにまで伸びている。石面の右上に短冊形の彫り込みがあるが風化のために刻字の存在がうかがわれるが判読出来ない。欠損するものの丁寧な造りで鎌倉後期の作と考えられる。
B. 笹川・佐藤家来迎石仏
先の熊野神社の東にある佐藤家の裏庭に祀られる。
頭部山形の石で中央部で地上高136cm、幅90cmある凝灰岩製のもので、阿弥陀像の左手の辺りで厚さ9cmと厚肉彫りする弥陀三尊像を彫り出す。三尊は石の下方に彫られ、石の上方は平らなまま残される。正面向きの中尊に対して脇侍菩薩が中尊の方を向いた通形の三尊像である。
イボが出来ると参拝して願をかけると取れるという信仰があったそうだが、最近はそのような人も殆ど無く無くなったという。
C. 高倉・熊田家来迎板碑
先の二基とは方向が異なり、市の東部になる。熊田家管理地の藪の中に直接斜面地に立っている。頭部が半円形をしたこの地方の板碑によくみられる形のもので、上から約21cmのところで2.5cmの段差を設ける。その下の身部に大きな二重の頭光をおった右下向きの阿弥陀立像が、その後ろ(左側)に勢至像があるが右の観音像は殆ど判りにくくなっている。
なお、『郡山市史』第8巻ー金石文編ーの254ページには「観応」の紀年銘があったとするが、現在では確認できない。
これでひとまず安積郡(現在の郡山市)の来迎石仏・板碑は終わって、次からは南の須賀川市を中心にする岩瀬郡を取り上げる。