福島県の来迎石仏・板碑(8) |
旧市内に属する地域の来迎石仏を更に取り上げて紹介しよう。
A. 音路太子堂来迎石仏
住宅地の中に聖徳太子を祀る太子堂の境内に、小さな小屋を建てて中に11基の板碑が保存される。最後部右端に来迎石仏が立てられるが、その直前に2基の種子板碑が立つために全形が見られない。
正面向きに巻き雲の上にたつ阿弥陀如来と、その両脇下に向かい合って立つ観音・勢至菩薩の2菩薩が半肉彫りされる通形のものである。
B. 諏訪内来迎石仏
富田町の西はずれに辺り小高い丘陵地の先端部分に、吹き放ちの小屋を建てた中に祀る。凸字形の枠を取りその中に通形の三尊を彫るが、彫刻の細部がよく残り市内でも保存のよいものである。脇侍菩薩などは宝冠をかぶり下を向いた表情までが判る。
凸字形の枠に「弘安八年(1285 鎌倉中期)九月廿五日/為比丘尼聖霊也」の銘文を彫る。
何時の頃か落人をたずねて五月姫と名乗る妙齢の宮人らしき女人が乳母を連れて、この地に辿り着いて住むようになった。後に一庵を結び世を捨てて比丘尼となり読経三昧に一生を送った。比丘尼の没後庵の傍らにあった刀美ケ池に白蛇がしばしば姿を表すので、里人は比丘尼の化身ではないかと恐れ、一基の供養塔をたてて薄幸な彼女の礼を慰めた。と、いう伝説が残っているという(『郡山市の文化財}』)。
また、「いぼ神さま」と呼ばれ、藁しべを結ぶとイボが取れるという俗信があるという。