東京都(二十三区)の図像板碑(16) |
東京都荒川区 西尾久3・地蔵寺 弥陀三尊図像板碑
都電荒川線「宮ノ前」駅から北へ徒歩約五分の所にある。金光山宝珠院といい、創建は宝暦元年(1751)にひらかれた地蔵堂に始まるといわれる。
法隆寺の夢殿を模したという三層造り本堂の一階・護摩堂の本尊は不動三尊で、その下に千体地蔵を祀る。その右手前方に厨子に入れて弥陀三尊図像板碑が祀られる。
現在は、中尊の阿弥陀如来像の部分を欠失し、現高71センチ、上幅32.5、下幅33.3、厚さ3.9センチの緑泥片岩製。石の表面に横幅28.1~28.8センチの枠線を陰刻し、右側に雲尾を曳いた飛雲の上に、蓮座の上で膝を少し曲げて両手に瓔珞が三条下がった蓮台を捧げ持ち頭光をおう観音菩薩立像を、16.5センチの大きさに陰刻する。頭上右上から体の左へ天衣が細く線刻される。その反対側には、両手を合わせて合掌する勢至菩薩が飛雲・蓮座の上に立ち、ほぼ同じ16センチの大きさに彫られる。両菩薩は肩したから後方へ天衣がなびき、互いに向き合う姿勢をとる。
像の下部には次のような銘文が読み取られる。
「源内五郎 五郎三郎
左衛門五郎 九郎三郎
文明十五年 癸/夘 (1483)
奉 夜 念 佛 供 養 結 衆
十月七日
右馬次郎 小次郎
弥六 次郎四郎 」
夜念仏供養板碑は練馬区・三宝寺の弥陀三尊種子板碑の永享八(1436)年八月時正銘の板碑が初出で、25基の所在が知られ、その内11基が図像板碑である。
なお、裏面に「地蔵院法元誌」と追銘がある。
ご住職の話によると、昭和二十年代に西尾久二丁目の地蔵山の共同墓地から出土したのを、保存のために本堂に移したとのことである。