【番外】平成28年度 奈良県指定文化財の新指定 |
奈良県教育委員会は30日、国特別名勝の峡谷「瀞峡」を見下ろす十津川村神下の「瀞ホテル本館」や、葛城市の当麻寺に伝わる「木造来迎会所用面」など9件を、新たに県指定文化財に指定すると発表した。県指定文化財は計545件となる。
この中に白鳳時代の造立と云われる「飯降薬師の磨崖仏」が含まれる。
◆「飯降薬師の磨崖仏」
(宇陀市室生向渕)は岩壁に幅約3.7m、高さ約4.5mの範囲で8体の仏像を彫る。損傷が激しく図様は不明瞭だが、製作時期は飛鳥時代後半の白鳳期にさかのぼる可能性がある。奈良時代以前の石仏は全国的にも珍しい。今回は遺構の存在が想定される周辺部を含めて史跡に指定される。
『向淵の北山手に巨大な岩壁があり、古来山岸の岩に、薬師あり三間三重の塔を造り、北に石造薬師、東に石造弥勤を建立し云云』と古書にあり、また口伝には七日七夜に燃えつきたと言われ、現在像の表面はことごとく焼損して荒れはてている。
奈良時代作と川勝政太郎博士が発表されたのは最近のことで、従来室町時代頃の作と思われて来た。現状では確かな論証は困難であるが、奈良時代にこの地に石位寺石仏に勝るとも劣らぬ石仏の存在したことは、鎌倉時代に大野寺石仏が造立され、建長に二地蔵が造刻されたことでも明らかであり、石仏信仰の盛んになる素地は実にこの石薬師にあったと言わねばならない。
中央上方二尊は高さ61cm(二尺)の薬師、弥勧と信じられたもので、左右1.67m(5尺5 寸)高さ1.27m(四尺二寸)の方形に彫りつけ下方に6体余りの立像が彫られた。石英安山岩質の間に露出した凝灰岩に彫りつけられている。(太田古朴『美の石仏』昭和37年刊)