【番外2】九州の図像板碑(2) |
◆崩れた石垣に観音菩薩現る 熊本城内の宮司がFBに投稿
4月16日の本震では北大手櫓門跡の石垣が崩れ、城内にある加藤神社の境内に石が散乱した。湯田崇弘宮司(44)によると23日、このうちの一つの石の側面に観音菩薩が彫られているのを確認したという。
観音菩薩は40センチほどで、蓮華座に立ち、左手には蓮のつぼみのようなものを持っている。後光も描かれており、湯田宮司は「震災でみなさんの気持ちが沈んでいる中、本当の光のように感じました」と話す。11日、神社のフェイスブックに載せたところ、14日昼までに、7万5000人に読まれたという。
熊本城調査研究センターの美濃口雅朗主幹(55)によると、描かれている面がきれいに研磨されていることなどから、元々は「板碑」と呼ばれる仏像を彫って供養する石碑で、築城の際に石垣に転用されたと推察されるという。15~16世紀に彫られたものと考えられ、美濃口さんは「築城以前の人々の暮らしや、築城時の様子が垣間見える貴重な資料だ」と話していると伝えられる。
以下は、写真を見ての私見
石材として使うために切断されている事が伺え、元の全体像が不明だが、弥陀三尊の早来迎形を線刻した図像板碑の一部分と考えられる。明確な飛雲は見られないが蓮座に乗り、念仏者の元へ急ぎ駆けつける姿を表し、その念仏者に差し出す両手で持つものは金蓮台と見るのが妥当ではないか。多くの石仏や図像板碑で観音像を単独に彫るものは少なく、弥陀三尊像の一部分と判断される。
写真を角度を変更して掲げる。