東京都(二十三区)の図像板碑(9) |
東武伊勢崎線「竹の塚」駅東口から東武バス「花畑団地」行きにて「東武ストア前』下車徒歩約五分の所にある、真言宗豊山派の寺院で鷲王山正覚院と称する。区の北端に近く綾瀬川を隔てて埼玉県八潮市に接する地域にある。
足立区教育委員会の案内板によると「寛治年中(1087~93)新羅三郎義光によって創建された大鷲神社の別当寺であったという。(中略)境内には庶民の墓塔として室町期より全国的に広まった五輪塔・宝篋印塔があり、又、阿弥陀三尊半肉彫りの庚申塔、観音信仰にかかわる普門品供養等、百番供養等、地蔵講中の供養等など数多くの石造物がみられる。更に本土わきのいちょう樹上より垂下する気根は本堂の長い歴史を物語っている。昭和51年3月」と説明される。
総高160センチ、上幅49.8、下幅61、最大厚さ35.5センチの花崗岩製で、頭部を山形にし、頭部に半円形の繰り方を二段に唐破風に作る。頭部山形から見て0.8センチ、1.7センチと低くなって身部があり、下部では1.5~2センチ身部から張り出して根部を形成する。背面は上が浅く下になるほど張り出した不整形の石を用いる。
身部の両側には3.5センチ幅の枠を取り、中を1.2~1.5センチ彫り沈める。この身部の上方円形部から21センチ隔てて二重に陽刻する二重頭光をおい、左下方に視線を向けた阿弥陀如来が飛雲の上に立ち、その右下には二重の陽刻頭光をおう観音菩薩像が蓮台を捧げて右下方を向いている。中尊の左には同じような頭光をおい合掌する勢至菩薩像が瑞雲の上に立つ。雲尾は中尊の乗る瑞雲にはあらわされるが、脇侍菩薩の瑞雲には無いが、天衣が後方に靡いている様があらわされていて、動感を示している。中尊の像高23センチ、観音像14センチ、勢至像16センチを計る。阿弥陀如来の頭光からは六方向に三条の光明が伸びているがそれはごく短く、右下のみが観音の頭光まで長く伸びている。
三尊像の下に銘文を刻む。
「 元和玖年关/亥年 武刕花又村 (1623)
現世安穏 本願 三右門新栄
奉 待 庚 申 供 養 成就所 辰之助兵庫
後性善生 □□小右門
十兵右藤七
二月十二日 寶泉坊 施主敬白」
身部の下は1.5~2センチ張り出して台座部を形成し、上端で50センチ、地上部で61センチと台形に形作る。この正面に幅36センチ、高さ26センチと、高さに比して幅の詰まった蓮座を陰刻する。小花波平六氏によると、江戸城普請中に作られた数少ない庚申塔の一つであるという。
この地はかつて南足立郡花畑村大字花又と呼ばれていたと、角川版地名辞典に記されている。