埼玉県の図像板碑(180) 北埼玉地区・加須市(1) |
JR高崎線「鴻巣」駅から「加須」行きのバスを利用して「騎西三丁目」下車、徒歩で300mほどの所にある浄土宗寺院。墓地の一隅に下部をコンクリートで固めた板碑が数基並べて立つ。県の調査報告書や『騎西の板碑』(昭和56年3月 騎西町教育委員会)には8基の記録が収録される。
図像板碑は現高102.8センチ、上幅34.3、下幅36、厚さ7センチで、頭部山形の先端の部分が欠損する。二条刻みの下の身部には幅31~33、高さ73センチの他に例のない唐草模様の枠線を陰刻し、その中に三尊が右下方を向いて念仏行者の臨終に間に合うように急ぐ早来迎形の像容を線刻で表される。
風化のために細部は分かりにくくなっているが、直径12センチの頭光をおう阿弥陀如来は来迎印をとり、その蓮座の右から頭光をおい少し身体を屈めて蓮台を捧持する観音菩薩を、中尊の右袂の当たりから合掌する勢至菩薩が線刻で表される。観音菩薩の腕から垂れる天衣は後方に靡き、その位置も勢至像より8センチ低く彫られており、来迎引接を急ぐ様子が表される。阿弥陀如来の頭光からは34方向に放射光が傘の骨状に丸く放たれ、右下端の二条の光明のみは長く伸び、観音菩薩の頭光に接する。
枠線の下部中央に「正嘉元年(1257)/丁巳/四月十二日」と三行に年紀のみを刻む。線刻の早来迎形の図像板碑としては最も古い板碑である。なお、同じような早来迎形の図像板碑の早い時期の造立例としては、翌年の正嘉二年九月十八日銘のある福島市下鳥渡・陽泉寺弥陀三尊図像板碑が知られる。