埼玉県の図像板碑(155) 狭山市2 |
狭山市駅西口から西武バス「サイボク牧場の湯」行きで約15分、「坂上」で下車しバス停から少し戻って西へ入ったところに奥富家がある。道に面した庭の一画に観音石仏を祀る石殿の右に切石に穴を空けて差し込み固定して南面する板碑が祀られる。
地上高85センチ、上幅48.2、下幅47.5、厚さ3センチの大きさで、頭部は欠損しており天蓋の一部が見られるが、二条の刻みは認められない。『狭山市の青石塔婆(板碑)』(狭山市文化財調査報告Ⅵ 昭和52年3月30日)には、最も幅の広い板碑「奥富きく氏宅裏山」として木に立てかけた写真が掲出されるが(10ページ、右の写真)、それでは高さが97センチとする。
身部両側に幅36センチの界線の一部がある。天蓋の下には幅24センチの下向きのコの字形に枠線を陰刻し、その中央に蓮座の上に立つ頭光をおう阿弥陀如来を彫るが、顔は剥離していて不明。右手を胸元に挙げ左手を膝の当たりに垂れた来迎印を結ぶ。手足は周囲を彫り浚え浮き彫りとし、衣紋の襞も同様に輪郭を残して中を平らに彫りさらえる彫法で表される。頭光からは三条ずつの放射光が界線まで延びている。線刻蓮座の下には華瓶・香炉・燭台を載せた前机が陰刻される。
如来の膝当たりの高さで枠線の内側に「申待/供養」と刻み、三具足・前机の両脇に二行ずつに分けて梵字の光明真言が読まれる。更に前机の下に「天文三年(1534)甲/午十月吉日」の年紀と交名があったと『板碑』740ページのリストに記されるが、現在は前机の下から大きく剥離しており「年甲/午十(以下埋設)」と読まれるだけである。同書は高さ97センチとするので12センチ埋まっている計算になる。
申待供養は庚申待供養であり、文明三年銘の川口市領家・実相寺塔が一番古く(三尊種子)、図像板碑では五番目に位置する板碑である。