埼玉県の図像板碑(112) さいたま市(1) |
2001年5月、大宮市、与野市と、更に2005年4月岩槻市と合併し「さいたま市」となった。
『浦和市史』第二巻古代・中世史料編Ⅱの「板石塔婆」によると、市内には過去に確認され今は既に無いものを含め577基に及ぶ板石塔婆がある、とする。県の調査報告書『板碑』では、161地点、833基を挙げ、そのリストから抽出すると図像板碑は22基が挙げられる。
◆さいたま市緑区上野田 東台墓地(興音寺跡) 弥陀三尊図像板碑
旧浦和市の最北端で旧大宮市に接する地域で、JR高崎線「大宮」駅から中野田引返場、東川口行きのバスで「野田宝永」下車、北へ約7~8分道路から100メートルほど入った所にある墓地の入り口左側に南面して立っている(近くに天神社がある)。平成19年約25年ぶりに採訪した時は墓地の北端部に移動して、下部をコンクリートの段にいけこんで西面して立てられていた。
地上高100センチ、上幅26.8、下幅29、厚さ3センチの緑泥片岩製の比較的小型の図像板碑。頭部山形の右側を少し欠損するほか中尊の足下から折損するのをセメントで接合して保存される(昭和40年3月31日浦和市指定文化財)。
頭部山形の下、身部に石の端から2センチ中に幅23センチの枠線を陰刻し、正面を向き右手を胸元に挙げ左手を膝の当たりに垂下した来迎印をとる阿弥陀如来を薄肉彫りする。像高は28センチ。8センチと9センチの二重の頭光からは三一方向に傘状に方光が伸びているが、上に伸びる光明は枠線を越えて二条の刻み近くまで伸びている。阿弥陀如来像の丁度足下で蓮弁二弁を残して折損する。
折損する下の部分に中尊の乗る蓮座の下部が残り、それを挟んで頭光をおい両手で瓔珞の垂れた蓮台を捧持する観音菩薩像と、やや斜め向きになり胸元で両手を合わせる勢至菩薩を線刻で表す。三尊の乗る蓮座は普通に見られる蓮華部のみを表すものでなく、敷茄子や反花を伴う本格的なものである。中尊を薄肉彫り・脇侍菩薩を線刻と表現に違いを見せ、蓮座の表現といい小型ではあるが丁寧な作りの図像板碑である。
脇侍像の間に大きく「延慶三年庚/戌二」(1310)と行書体で年紀を刻み、その両側に一行ずつ種子による「光明真言」を彫り出す。