埼玉県の図像板碑(100) 大里郡 33 |
熊谷から秩父鉄道に乗り「武川」まで約25分、駅から南へ出ると南北に秩父街道(国道140号線)が走る。これを西へ武川で左折して荒川に架かる植松橋を越え、直ぐに左折すると川本高校がある。これを通り川に沿っていくと左手に「俵薬師」の堂が立ち、板碑はその左手の空き地に直接立つ。
駅から約3キロ、徒歩で約25分。
地上高152センチ、上幅36.5、下幅39.2、厚さ6センチの背面は平らで、断面は正面手前が幅広く背面は狭い梯形を呈する緑泥片岩製の図像板碑。
頭部を山形に整形し(高さ11センチに対し幅36センチ)、二条の刻みを作り、高さ3センチの額部を有する。その下とそこから103センチ下に界線を刻み、その中に正面を向き右手を胸元に挙げ左手を膝の当たりに降ろした、来迎印の阿弥陀如来が薄肉彫りで表され、踏み割り蓮座の上に立つ。衣紋は細かい菱形文を刻み丁寧な作りである。頭部は二重の頭光をおい、そこからこの界線の間一杯左右上下に二条ずつの光明を98本放つ他に例のない形式で造られる。下の界線から23センチ隔てて同じく一本の陰刻線を刻み、その中央には三茎蓮が彫られるが、中央の蓮花は界線を越えて踏み割り蓮座の下まで長く伸びている。
その両側に「観応元年(1350)庚/刁/八月日(華瓶)一結衆中/等敬白」の紀年銘を草書体で彫る。
『日本石造美術辞典』で川勝政太郎博士は「南北朝らしい固さはあるが、仲々華麗で、独創的な意匠を持っており、保存もよく美しい板碑である」と記している(169ページ)。
近くのお年寄りの話によると、4月8日薬師さまの祭で、住職が経を唱え、参詣者は数珠繰りを行うという。これはナムアミダブツと唱えながら、約15分くらい行われ音頭取りが鉦を木槌で打ちながら調子を取るという。春秋2回ともいう。
古くから露天にあったがその後平成12年頃に保存のため、電話ボックス様のガラスで覆われた収蔵庫を作り、その中に収められた。