埼玉県の図像板碑(60) 児玉郡8 |
先の新屋敷から更に奥に入り、神泉村・長瀞町・皆野町に接する町境の地。現在無住の正覚寺(真言宗豊山派)の右手に大駄下区集会場の建物が建ち、墓地へ行く道に背を向けて、斜面上にセメントで固めて立てられる。
地上高101センチ、上幅36.6、下幅37.5、厚さ3.5~4センチで、頭部を山形に造る。阿弥陀如来は右を向いて踏み割り蓮座に乗って放光を放ち、その下に共に頭光をおう脇侍二菩薩が線刻される。中尊の立つ蓮座は比較的よく残っている。その下に刻字の後が認められ「十一月日」が辛うじて判読できるが年紀は判らない。その両側に二花を活けた一対の華瓶が彫られ、右側は比較的良く残るが、左の華瓶は花はハッキリするが華瓶は不明瞭である。全体に風化が進み石の目が浮き出ていて、刻線が埋没して判りずらい。四方田悟氏は「埼玉の中世石塔(三)」(「埼玉史談」39巻2号 平成4年)の中で<ハッキリとはわからないが線刻と陽刻を取り入れた手法から鎌倉期の阿弥陀三尊立像であろう>と述べている(36ページ)。