埼玉県の図像板碑(57) 児玉郡5 |
JR八高線「児玉」駅の西北約2.5キロ、隣の神川町に接する児玉町西端の地域である。邸内庭のほぼ中央に立てられる。
地上高111センチ、上幅30.6、下幅32、厚さ3.1センチの板碑で、完存する美しい板碑である。石井真之助氏も『板碑遍歴六十年』で<磨消や破砕のあとなく、見事な美しい板碑である>と賞される(206ページ)。
身部に27.5センチ×79センチの枠線を刻み中央上部に、直径24センチと11センチの二重頭光をおう像高34.5センチの来迎印の阿弥陀一尊像を線刻する。面部は石の面よりも浮き出ている。頭光の内側は蓮花文を刻み、その外に50本の傘の骨状に放射光を彫り出す。幅19.5センチに高さ9センチの大きさに作られた蓮座の下、身部の端に三茎蓮を活けた一対の華瓶を同じように線刻する。
華瓶の間に一行
「乾元二年(1302)閏四月日」と年紀を彫る。
最初の実査の時に「拓本を取ると必ず家人に不幸があるので」遠慮していただいているとの事で、歴史考古学研究会の坂田二三夫氏の拓影を借用する。
石井氏は先の書で、「この板碑にとてもよく似ている一尊図像板碑(元徳四年壬申二月時正)が町田市相模原にあったが行方不明、遂にまだ見当らない。惜しいことである。」と解説されるが(206ページ)、鎌倉市扇ガ谷2-2一-3・薬王寺にある板碑が該当すると考える。