埼玉県の図像板碑(53) 児玉郡1 |
JR八高線「松久」駅(無人駅)前の道を西へ約500メートルばかり行った所に旧家の深沢家がある。板碑はかつては氏神として祀られていたが、今は蔵の中に保管されるのを座敷に出していただき実見する。
総高78.5センチ、上幅25.7、下幅27.5、厚さ3.5センチの比較的小型の図像板碑である。
頭部山形は少し丸くなり二条の刻みもなく、その頂部から17センチ下から像高20センチの大きさで左手を膝の当たりに下げ、右手を胸元に挙げた来迎印をとる阿弥陀如来が踏み割り蓮座の上に立ち、右下方を向いた早来迎形の様式で彫り出される。頭光は直径8センチで周囲に放光を放ち、右下の二条は長く石の端に届くように刻まれるのは多く見られるものである。右下の放光以外は一条の光芒で左へ伸びる放光は石の端まで長く伸びるが他の放光は風化に為にはっきりとしない。面部は薄肉彫りで衣紋部は陰刻で表される。蓮座の下にはかつて線刻の一対の華瓶があったのが判るが、左は蓮華のみが二弁、左は蓮華と華瓶の下部が残る。
華瓶の間、石面の中央に一行「文永九年(1272)□月」と年紀のみが刻まれる。このような比較的小型で二条の刻みを持たない図像板碑は玉蔵寺塔や群馬県多野郡方面に類例が見られる。
同家の西側には土塁の一部が残り、武蔵七党の一つ、木部氏館跡と推測されている。