埼玉県の図像板碑(37) 比企郡川島町ー8 |
大里比企広域農道の市野川に架かる市野川大橋の東に立つ曹洞宗寺院で、滋眼山安楽寺と称する。寺の入り口左に阿弥陀種子板碑・三尊図像板碑(上欠)・三尊図像板碑(下欠)・弥陀図像板碑(下欠)と並んで下部をセメントで固定される。
(1)弥陀図像板碑
地上高44.5センチ、上幅29.7、下幅30.5、厚さ2センチの図像板碑。頭部(左側が一部欠損する)山形の下に二条の刻みを造り、その下一センチから幅二八センチ(刻線の幅〇・七センチと幅広)の枠線を彫る。枠線から10センチ隔てて、直径25.2センチと枠ほぼ一杯の大きな頭光をおう阿弥陀像を薄肉彫りする。頭光は三重で、一番内側の頭光は中央に溝を持ちその両側はゆるい曲線で彫り窪める。二・三重目の頭光の間に傘の骨状の光明を多数刻む。像は左手を胸元に挙げた部分まで残り以下を欠失する。押し型風であるが右下方を向いて立つ姿であることは判る。
(2)弥陀三尊図像板碑
二石に折れており並んで立てられる。上は現高39センチ、上幅34.1、下幅34.6、厚さ3.5センチで、5.7センチの額部を有し、その上から欠失する。額部は弥陀一尊図像板碑部より0.5センチ突出している。幅32.2センチの枠線を取り、上から4.2センチ離れて直径28センチと11センチの二重頭光を作るが、内側の頭光は内側にゆるく彫り窪められ、その中で弥陀像の頭部が浮き彫りに表されている。この板碑も傘の骨状の放光を刻んでいる。阿弥陀如来は左手を挙げ右手を降ろした来迎印で立ち、この右手の辺りで折損する。
下の部分は地上高59.5センチ、上幅35.3、下幅38.8、厚さ4センチで枠線を持ち、石の上方に踏み割り蓮座に乗る脇侍菩薩像の一部が見られる。左の蓮座に対して右側の蓮座が下にあり、更に左の蓮座が枠線に接するように位置するのに対して、右側の蓮座はその右に余裕を持ち、全体として左寄りに三尊像が彫られていて、左から右下方へという動感をたくみに表現する早来迎形と判る。像の下に二行にわたって「正安元年(1299)/七月十五日」の年紀だけが彫られる。
以上の説明からも明らかなように、阿弥陀如来の下部と脇侍二菩薩像の殆どを彫り出す部分が失われていることになる。
(3)弥陀三尊図像板碑
現高111センチ、上幅40.5、下幅44.5、厚さ5センチの下だけの残欠で、枠線も取らず、上方に二つの蓮座と像の足元の一部が残る。その下に「永仁二二年(1296)丙/申三月八/日」の年紀と「光明遍照/十方世界/念佛衆生/摂取不捨」の偈頌を二行ずつに分けて彫る。なお下部は粗叩きのまま残される。
何れも県調査報告書には記載されていない。