埼玉県の図像板碑(30) 比企郡川島町ー1 |
県中央部に位置し、都心から45キロ圏にあり、比企郡の東南端に位置する。市野川・荒川・入間川・越辺川に囲まれた低平な水田地帯で、数条の微高地があり、古い流路の自然堤防に当たる。
川島町史調査資料第六集『川島町の板碑』(平成11年3月31日)によると、現在町域に所在するもの、及びかつて所在し確認調査がなされているものを含め、計七九四基(現存690基、移動67基、所在不明77基)が確認されている。この内図像板碑は11基が知られる。
◆川島町中山1209・正泉寺墓地 地蔵図像板碑(1)
東松山駅〜川越行きバスで「上中山」下車、東へ約10分、比企氏が開基したという金剛院の西に位置し、南北朝時代の聖観音像を祀る天台宗の寺院で普門山の山号を名乗る。住職は東松山市西本宿・常安寺の兼務であるという。
墓地の一隅に置かれ、現在はほぼ中央で二石に割れている。総高30.7センチ、上下幅23、厚さ2.8センチのほぼ長方形の緑泥片岩製の板碑である。上辺(二重)、下辺ともに陰刻の界線を刻んであり、これで完全なものと見ると極めて小型の図像板碑ということになる。
枠線の内部に天蓋を線刻し、下に頭光をおい、蓮座の上に立つ二躰の地蔵立像を彫る。像の両脇に「宝徳三年(1396)/十月日」の年紀のみが彫られる。
二躰の地蔵像という例は無く、或いはこれは堂の周りを荘厳する磚のようなものでなかったのか?という疑問もある。