埼玉県の図像板碑(8) 東松山市・萬松寺墓地 |
東松山~川越間のバスで「柏崎」下車、東へ約500m、バイパスに架かる陸橋を越えた所にある曹洞宗の寺院で山号を祝融山という。板碑は本堂の北奥手に広がる墓地の中央奥にある歴代住職墓域へ到る石段の右側に、下部を固定して三基の板碑が北面して立つ。
石の上方中央に幅24センチ高さ10センチの蓮座に乗って立つ阿弥陀如来の下半身が残り、その左に中尊の方を向いて踏み割り蓮座に乗り、頭光をおう陰刻の脇侍菩薩立像の肩から下が残っている。蓮座の左下方には天衣が靡いている。普通この位置には合掌する勢至菩薩像が彫られるが、本塔の場合は両手を真っ直ぐ差し出して蓮台を捧持するように見受けられる。中尊の右側は剥離の為に像の姿は無く僅かに蓮弁がかすかに残る程度である。観音・勢至が逆に彫られた逆来迎板碑であるかと考えられる。福島県郡山市三穂田町駒屋・八大墓地の弥陀三尊来迎板碑の例があるが珍しいものである。
脇侍像の下に「供養」とあるが反対側は全く痕跡を留めていない。その下は三段にわたって小さな文字で「彦太郎 弥次郎 平六 孫次郎 平次五郎」等多数の交名を彫るが、全体は判読しがたい。交名の中央下部に「 月廿三日/敬白」と刻されるのが認められる。室町時代の民間信仰の供養板碑と考えられる。
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右側に立つ板碑は地上高108センチ、上幅32、下幅34.5、厚さ3.3センチの頭部山形、二条刻みのある完存板碑で、枠線の中に蓮座に乗り月輪に収まった弥陀種子を薬研彫りし、その下に「康永二年(1343)□/未五月」の年紀とその両側には四行に分けて光明真言を種子で彫る。左の板碑は地上高101.5センチ、幅34~35、厚さ4センチのキリークの下端が蓮座と共に残るものである。