【番外】埼玉県戸田市の図像板碑 |
◆戸田市笹目南町・栗原家 弥陀一尊図像板碑
板碑は広い庭内の一隅に立つ二間四方の観音堂(千手観音を祀る)の中に保存される。
総高九五センチ、上幅三三、下幅三四・五、厚さ三・三センチの大きさで、頭部山形は一部欠損し、下端根部は欠失し下端の枠線の極く際まで残る。また身部の中程から下にかけて右辺が欠損する。石面には粒の大きな砂状のような成分の個所があり左手のあたりでは刻線が失われている。
二条の刻みの下に幅27.5センチ、高さ75.5センチの二重の枠線を取り(下辺のみ一重)、上端に半円弧四個を線刻する(瓔珞を簡略化したもの?)。枠線から8センチ空いて二重の頭光をおう、31.5センチの正面向きの阿弥陀如来像が蓮座の上に立つ姿を陰刻する。阿弥陀像のおう二重の頭光は直径17.5センチと13センチで、全身から放光が31本四方に放たれている。幅18.5センチ高さ7センチの蓮座は薬研彫り状ではなく線刻で表されている。
蓮座の下には七行にわたり銘文が刻まれる。
「□造/阿弥陀如来石像□□/勧進十方檀那接待/一千僧之供養也仍四聖/六凡同然称智矣/應永丗二年(1425)十一月十五日/沙門永俊」
室町時代の図像板碑の多くは月待供養・庚申待・念仏供養等のいわゆる民間信仰の所産として造立されるものが多くなるが、本塔は之に先立つ時期の造立である。銘文にはやや不詳の刻字が混じる。
戸田市指定有形文化財=歴史資料(昭和44年4月10日)になっている。従来は戸田市唯一の図像板碑とされていたものである。
【参考文献】戸田市『戸田市史』資料編一 原始・古代・中世(昭和60年3月2日)
戸田市教育委員会『戸田市の指定文化財』(昭和63年3月29日)