群馬県の図像板碑 (30)松井田町・木村家の弥陀三尊来迎板碑 |
県南西部に位置し、西は長野県軽井沢町に接する農業を基幹産業とする町である。古代より交通の要衝で近世には中山道の宿場町として栄えた歴史をもつ。2006年3月合併により安中市となる。
JR信越線「松井田」駅の北約2.5㎞の高梨子(たかなし)の集落のかかりにある、木村家の持ち山の中に建つ阿弥陀堂(かつては集落の葬祭小屋であったが現在は使われていない由)の正面に板碑は祀られている。
下部を欠失、現高65センチ、上幅28.2、下幅30、厚さ3~3.5センチの緑泥片岩製で頭部山形、二条の刻みをもつ典型的な板碑の形態をとる。石質は比較的緻密で表面のあれも少ない。頭部山形は幅28.5センチに対して高さ7.5センチと割に低平な割合を示す(比高0.263)。その下に二条の刻みを持ち、身部には二条の刻みに接して幅27センチの陰線を刻み、更にその内側に幅23.2センチの枠線を線刻する。両側面に少し石面の欠けた所がある。
枠線の6.3センチ下がった所から、雲尾を後ろになびかせた飛雲に乗り、右下方を向いた早来迎形の阿弥陀如来像が、頭光をおい来迎印をとって踏み割り蓮座上に立つ。像高は22.5センチで直径6センチの頭光の外から一七条の放射光を放ち、その内の二条は長く石の右端にいたるまで伸びて、念仏行者を照らす様子を表す。光明は先端になるにしたがい太く彫られる。像容は肉身部は薄肉彫りであらわし、身に纏った衣は襞の部分を残してその内側を彫りさらえる手法をとっている。
脇侍の観音菩薩像は像高15センチで、中尊と同じように飛雲に乗り上体をすこし前にかがめて両手で蓮台を奉持しており頭光をおい、その後方には同様に飛雲・蓮座の上に立つ像高13センチの勢至菩薩像は胸元で合掌している。二菩薩は石面の左寄りに彫られており、観音像の前方には空間をあらわしているのに対して、勢至像の飛雲は枠線に接して雲尾が上方に靡いている。飛雲の高さは観音像の方が下にあり、三尊全体が左上方から右下方に対して来迎する広がりを表現しているとみられる。
この脇侍菩薩像の下2センチほどの所から折損しており、紀年銘等は認められない。『松井田町史』の第二章中世、第2節松井田の金石文の項で「⑸ 高梨子村谷津の金石文 ①阿弥陀堂の三尊来迎板碑/年号を刻んだ下半部が欠失しているので正確な年月は不明だが、材石・寸法や梵字の代わりに三尊仏像を刻んだ県内各地に散在するものから総合して、西暦1300年頃と推定される古い形式の板碑である。/中央上部の蓮座上に立つ主尊からは、放射線状の後光が差し、その下左右の蓮座上にひざまづいて主尊を拝む二尊が刻まれている。/これは、三尊来迎画像といい、県内でも十面程しかない珍しい形式の板碑である。昭和の初めに、共同作業でやった井戸さらいの時、木村家の井戸から汲み上げられたものだと古老が語ったが、下半部が上げられなかったのは残念で、今後の機会を待つのみである。」(204~205〇ページ 全文)と、解説されている。